美に携わるさまざまな人にスポットを当てるこの企画。ありきたりな美の形容におさまらない、自由でしなやかな精神を持った「うつくしい人」を訪ねます。第3回目は、ビューティライターのAYANAさん。美容にまつわる執筆はもちろん、自身の生き方や考え方について綴ったエッセイの出版、スキンケアブランド「OSAJI」のメイクアップコレクションディレクターも務めます。AYANAさんの伝える多様な「美」とは? 経験を積み重ね、自身も変化しながら考えてきた「美しさ」について伺いました。
もともとは、メイクアップアーティストに憧れていたというAYANAさん。高校生のときに愛読していた雑誌『CUTiE』のメイクアップアーティスト・渡辺サブロオさんの連載に感銘を受けたことがきっかけだったといいます。
「毎回テーマに合わせて、モデルが変身する企画だったのですが、『人って、メイクでこんなに変われるんだ!』と、夢中になりました。そこからメイクアップに興味を抱くようになり、お金を貯めては海外雑誌や写真集を買い集めるように。当時の私は、メイクを音楽やアートと同じような感覚で捉えていました。作品を生み出す写真家やアーティストに憧れるように、私もメイクで表現する人になりたいと思っていたんです」
大学に通いながら夜間のメイクアップスクールに学び、化粧品メーカーに就職したAYANAさんですが、そこでは希望していたメイクアップアーティストではなく、「カラリスト」として働くことになります。
「お客様一人一人にカウンセリングを通じて似合うものを提案し、喜んでもらう、という一連のプロセスがとにかく楽しくて。そこで気がついたのは、私が本当にやりたいのは、自分が表現者としてメイクを“施すこと”ではなく、メイクを通して“相手のために、商品を提案したり、作ったりすること”だということでした」
光を見出した「カラリスト」の仕事ですが、会社の事情で勤めていた店舗が閉じることに。そのまま会社に残ってもやりたいことはできないと感じたAYANAさんは、WEBの専門スクールへ入学。通い始めた矢先に声をかけられ、商品企画やブランドのディレクションなどにも携わるようになります。
「もともといた会社の社長が、新会社を立ち上げるからと声をかけてくださって。学校へ行きながらでも働けるというので、そこで働いてみることにしたんです。不思議なことに、私の人生って、ピンチのときには必ず助け舟みたいな人が現れるんですよ」
その後、いくつかの会社を経て、35歳で独立。きっかけは東日本大震災でした。
「当時働いていた会社では、まったく向いていない部署に配属されていたこと、また不満に溢れた職場の環境もあり、悶々とした日々を送っていました。そんななか東日本大震災が起き、あのとき、多くの人が『明日がどうなるかなんてわからない』という気持ちになったと思います。私も、今のままじゃダメだ、自分の能力を活かして何か人の役に立てることをしたい、自分として生き切りたい、と強く思ったんです」
商品開発やブランディングの仕事を通じ、言葉で伝えることを得意としてきたAYANAさん。独立当初は「ライター・プランナー」として活動していましたが、その後、肩書きを「ビューティライター」としたのには、理由があったようです。
「当時、仕事が広がる中で、『コンサルタント』の肩書きも加えようとしていたのですが、友人に『肩書きは、自分の1番やりたいことに絞った方がいい』と、アドバイスをもらい、私にとってそれは『書くこと』だと思いました。
『美容』という言葉をあえて使わなかったのは、私が追求したいのは、音楽やアート、人間の心など、あらゆるものに宿る『美』についてだという思いがあったから。『美(=ビューティ)』であれば、それが網羅できると思ったんです」
「ビューティライター」と名乗り出してから、「美しさ」とは何か、ということを一層深く考えるようになったというAYANAさん。最初の著書「『美しい』のものさし」では、「美」とは多様なものであり、何を「美しい」と思うかは人それぞれ、と語っています。
「若い頃は、モテや可愛いと『美しさ』を結びつけることに違和感を抱いていたけれど、今は、『美』には正解なんてない、本当に人それぞれなんだと思っています」
一方で、「多様」と言われるほどに、自分の「美しさ」の基準がわからなくなってしまう人もいるようです。AYANAさんは、こんな提案をしてくれました。
「『美しさ』は、その人の『スタイル』のようなものだと言えると思います。自分にとっての指針であり、心の栄養であり、拠り所とも言えるかもしれません。たとえそれについて誰かに馬鹿にされたとしても、『自分が変なのかな』なんて思う必要はありません。それは自分だけが築き上げた絶対的なものなのですから。
そのスタイルを見つけるためには、自分が嬉しいこと、ドキドキすること、幸せを感じること、例えば食べ物でも、漫画でも、季節の匂いでも、誰かとの思い出でも、なんでもいいのですが、それらに意識的になり、一つひとつを集めてみるといいと思います。そして、『なぜ自分はこれが好きなのか』丁寧に分析してみてほしいのです。そうして作りあげた自分のスクラップブックを俯瞰で見てみると、そこに現れるのは『自分らしさ』ではないでしょうか」
AYANAさんは、同時に自分の選ばなかったものに注目してみると、より「自分の個性の輪郭がはっきりする」と、続けます。
「何かを『やる』だけじゃなく、『やらない』という選択も、同じぐらいその人のスタイルを作る強い力になると思います。そう考えると何事も『やりたくないけど、仕方がない』などと、曖昧にしないことが大切だと感じます」
あちこちで「多様性」という言葉を耳にするようになったこの時代、逆に「自分らしさ」を見つけなければと、焦ってしまう人も多いのかもしれません。そもそも「自分らしさ」の必要性を、AYANAさんはどのように感じているのでしょか。
「自分1人しか世の中に存在していなかったら、自分らしさの構築って不要で、関わり合いながら生きていく他者の存在があるからこそ、意味があると思うんですね。そう考えたときに、自分らしさというものが、他者や社会にとっていい影響を与えられることが、理想なんじゃないかなと思います。頭の中にある『こうありたい自分』にこだわるよりも、『自分が周りの人に対してできること』を考えてみると、意外と知らなかった、本当の自分らしさが見えてくることもあるかもしれません」
「自分らしく生きたいけど、どうしていいかわからない」という人に、AYANAさんは「一歩踏み出してみると、世界が広がるとは思う」と、伝えます。
「私のことを話せば、33歳で離婚して35歳で独立をしています。この歳で離婚するの? とか、この歳で独立するの? と、言われることもあったけれど、やっぱりやってよかったし、後悔はありません。ただ、人それぞれタイミングがあるとは思います。今頑張る元気がないときに無理やり頑張る必要はなくて、元気はあるけれど、年齢や周りの声など、世間体を気にしてできないということであれば、そんなことは気にせずやるべきだと私は思います」
AYANAさんのような柔軟な生き方に憧れる人も多くいますが、やはり勇気のいることだとも感じます。どうしたらポジティブに一歩を踏み出すことができるでしょうか?
「私は生き方が柔軟というより、流されてきただけなんですよね。動けないことも、つらい時期ももちろんありました。でも、ピンチのときには助けてくれる人が出てきたりもしてて、なんとかなってきた。無責任なことは言えないけれど、それでも思うのは、やらない後悔よりやってからの後悔のほうが爽やかなものになる場合が多いということ。
そもそも私は全然ポジティブなんかじゃなく、『どうせ私なんて』とすぐいじいけるタイプの子でした。じゃあ、若い頃の自分と今の自分では何が違うかと考えてみると、やっぱり経験なんです。何か波を乗り越えたり、世の中にはこういう法則があるんだと理解したり、意外とやればできるんだなと知ったり、体験経験が積み重なって、今の自分があると感じます」
これまで歩んできた道のりを改めて振り返り、自信を持って言えるのは「経験がその人の個性や厚みを作っていく」ということ。
「失敗しても、何で失敗したんだろう? と、分析できるし、同じ失敗を繰り返さないようにすることもできます。でも、飛び込まないことには成功も失敗もないし、昨日と同じ今日が続くだけ。どんどん挑戦して素晴らしい人に成長しましょう、と言いたいわけではなく、自分とは変化していくもの。同じ場所に居続けたくても、自然と苦しくなってくると思うんです。変わりゆく人生を受け入れ、どんな経験で彩っていくか、その選択の積み重ねが、自分のスタイルを築いていくのではないでしょうか」