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本当の自分と求められている自分が
合致しないことに悩み、萎縮していた

本当の自分と求められている自分が合致しないことに悩み、萎縮していた

2009年、まだまだ習い事感覚で日本舞踊をやっていた14歳の時に祖母が逝去し、「他人より早く進路を決めないといけない状況になった」と爽子さんは振り返ります。

「当時は若かったから深く考えずに『継ぎます!』と言ったのですが、10代で継ぐのは早すぎるから、20代になるまではちゃんと学校も行きましょうということになりました。ただ、年齢を重ねていくうちに本当にこの選択で良かったのだろうかという気持ちが膨らんできてしまったんです」

周囲に責め立てられたり、プレッシャーをかけられたりしたわけではないのに、「名前を継ぐって大変なことだ」と、爽子さんは自分一人で必要以上に悩んだといいます。

「舞踊の世界に小さい頃からいると――勝手な被害妄想なんですけど、みんなの目が怖かった。祖母とも比較されますし、本当に自分自身を見てくれているわけではないんじゃないかという気持ちになってしまったんです。

周囲から求められているものってなんだろう、なんでもできる自分じゃないといけないんじゃないか、そんなふうにも考えるようになりました。舞踊も大好きで楽しかったはずなのに、本当の自分と求められている自分が全然合致しないことに悩み、萎縮していました」

最初は逃避だったかもしれない。
でも、進んでいった先を逃げ場にしたくはなかった

最初は逃避だったかもしれない。でも、進んでいった先を逃げ場にしたくはなかった

そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら学生時代を過ごしているなかで、爽子さんのなかにはだんだんと「俳優をやってみたい」という気持ちが芽生えていったといいます。そして、同級生たちが就職活動を始める頃、爽子さんも一念発起し2017年に俳優としてデビュー。当時を振り返り、爽子さんは「今思えば、どこか日本舞踊に感じていた息苦しさから逃げ出したかったんだと思います」と話します。

「俳優になりたいという気持ちが強かったのはもちろんです。でも、ありのままの私でいられる、まったく知らない環境に身を置いてみたかった。実際にオーディションに行くと舞踊を知らない人たちがたくさんいて、しっかり落選もするし、ちゃんと私自身を見てもらえているという実感と自由な感覚を得られました」

だんだんと俳優活動が楽しくなっていった爽子さんですが、俳優と舞踊、どちらか一つだけを選ぶという選択肢はなかったといいます。しかし、俳優業をかたちにしないと祖母が築き上げた名前を汚してしまうのではないかという不安も抱え、俳優としての経験を積むために襲名を先延ばしにしていたといいます。そんな逡巡を経て、2021年に三代目藤間紫を襲名することになりました。

「舞踊も継ぐと決めたからにはちゃんと継ごうと決心していたし、俳優業も辞めない覚悟でやり始めたので、どちらも中途半端にすることは考えていませんでした。俳優の道へ進んだのは、最初は逃避だったかもしれません。でも、そうやって進んでいった先を逃げ場にしたくはなかったんです」

俳優の仕事をしている時に「舞踊家があるから」という逃げ道をつくらない。その逆も然り。そんなことを意識して、爽子さんは舞踊と俳優の二つの道を歩んでいるといいます。

「仕事に優先順位をつけないことを意識しています。もし自分がどちらかの仕事を一本でやっている人間だったら、他人が逃げ場として同じ仕事をしていることが見えた瞬間にすごく腹が立つと思います。だから、気を抜かずにどちらも真剣に向き合いたいです」

二足の草鞋を履くことに対して「しっかり俳優と舞踊家を両立できているように見えるかもしれませんが、自分では両立できていると思えていなくて」と続ける爽子さん。

「物理的に時間が足りない時もあるし、仕事の比重が定まらないこともしばしば。両立することに悩むこともあります。本来一つでいいところを欲張って二つも選んだのは自分自身だから、なんでも一人でできないといけないと思っていて、“できる風”の自分を装っていました。でも、最近、周りに助けてくれる人たちが実はたくさんいたんだということに気づいて。自分がわからないことに対して素直になったり、できない自分を認めたりするのは恥ずかしいけれど、“できる風”を装っているのも辛かったんだと気づきました。二つの道を選んだんだから頑張らなきゃって自分にプレッシャーをかけすぎていたところもあったんじゃないかと思います」

肩書きが変わっても、私自身は何一つ変わっていなかった。
私がしてきたいろんな表現の積み重ねが今の私

肩書きが変わっても、私自身は何一つ変わっていなかった。私がしてきたいろんな表現の積み重ねが今の私

俳優・藤間爽子、日本舞踊紫派藤間流家元・三代目藤間紫。少しずつ今の自分を受け入れて二つの道を進む爽子さん。どういう表現者になりたいか聞いてみると、こんな答えが返ってきました。

「一言では言い表せませんが、作品や舞台一つ一つに向き合って、どういう表現ができるかを突き詰め続けることを大切にしています。きっとその積み重ねでしかないと思うんです。藤間紫を襲名した時も名前が変わることがプレッシャーだったのですが、襲名式が終わってみると名前が変わっただけで私自身は何一つ変わっていなかった。29歳最後の夜も『どうしよう、30歳になっちゃう!』とすごくそわそわしていたのですが、時計が0時を回っても私は何も変わらない。

そうやって肩書きが変わることで慌てふためいてしまうこともあるけれど、何も変わらないんですよね。でも、10代の時の私と30歳の今の私は、考え方だって顔つきだって変わっている。1日では変われないけれど、積み重ねが少しずつ自分を変化させていくんです。だから、『舞踊家だから』『俳優だから』という肩書きではなく、私がしてきたいろんな表現の積み重ねが今の私だし、これからもいろいろなことを積み重ねていきたいと思っています」

できない自分を受け入れること、そして、積み重ねていくこと。目の前の不安を過大に見すぎずに一つ一つ丁寧に向き合っていくことで、自分らしさが少しずつ生まれていくのかもしれません。

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